2020年5月末に怪我してから、2年8ヶ月経ちました。
怪我の記録3部作の最終編として、やっとまとめられるまで回復しました。
未だ、鈍痛や寒さからくる痺れがあるなど、完璧に治ったわけではありません。
ただ、今日、ピアノを弾いて現役だった頃の感覚に近いモノを得ることができました。
「ああ、私のリハビリは一山越えたんだ」と、肩の荷を下ろせたのです。
これで、最後の記録がやっと、まとめられます。
これまでの経緯
2020年5月末に、交通事故で「橈骨遠位骨折」「肺挫傷」「頚椎骨折」という怪我をしました。
これについては、橈骨遠位骨折リハビリの記録・治療編にて、まとめています。
リハビリ中から終了に至るまで、家ではパソコンのキーボードを工夫したり、筆記用具を全部買い換えたり、iPadとApple Pencilで文字を書く練習を始めるなど、ガジェットに頼りながら、不自由な右手を使い続けることができました。
この分離型キーボードは、本当に買ってよかったです。
これがなかったら、仕事は続けられなかったし、ピアノが弾けるまで機能回復できなかったと思います。
毎日、キーボードを叩けたことで、手の回復が進んだと思っています。
怪我してから回復具合をピアノで推し量る
私は、幼少期から高校卒業に至るまで、ピアノを弾いていました。
自分で言うのも恥ずかしいのですが、大学も「音大と体育大どっちに行くの?」と聞かれるほどでした。
(なぜ、体育大学と比較されたのかは、いつか、別のブログで……)
結局は、音楽への道は諦めましたが、趣味として続け、落ち込んだりしたときは、無心にピアノを弾き込んで、音の世界に没頭するのが大好きでした。
しかし、怪我してから、一切それができなくなり、情緒不安定になったのです。
ただでさえ、怪我したことで自己否定してしまう状況です。本来ならピアノを弾いて立ち直ることができたのに、それができなくなってしまいました。
でも、私は、主治医にも、リハビリの先生にも、ピアノを弾く宣言をしました。
言っておかないと、一生弾けなくなるような気がして、怖かったのです。
受傷して間もない頃
私のInstagramに、当時の様子が残っています。
受傷85日後では、まだ右腕の内回ができず、肩から手首を内側に曲げるため、上がってしまっていました。
受傷339日目まで、右手人差し指から力が抜けて鍵盤が叩けていません。
バッハ プレリュード1番だけを弾き続けてみた
やはり、ハノン(ピアノ基礎練習)は、弾いて辛いばかりです。
そこで、バッハのプレリュード1番を、ずっと弾き続けてみることにしました。
まずは、受傷後約700日経過した頃の音がこちら。
リハビリには、バロック音楽が最適です。構造が明確で、ぎこちない指でもなんとか様になります。
なんとか、YouTubeのエンディングに載せられるまでに回復しました。
でも、まだ、音が硬いままです。
これは、近所のショッピングモールのストリートピアノで弾いたものです。
Facebookにあげたのですが、音を忘れてミスタッチも。かつてなら、絶対にありえないのですが、弾いていて身体が温まる感覚が戻りつつありました。
この頃には、右腕の内回ができるようになり、両肩の高さも同じになってきています。
そして、
約、受傷後915日目の2022年の11月初旬。
京都で行われた「Notion全国ミートアップ」に参加しました。
Notion全国Meetup。新しいプロダクトを産むまでの苦悩を見た
実は、この時に、京都駅にあったストリートピアノがあったので、弾いてみたのです。
この頃に、やっとギャラリーで聴いてくださる方もちらほら。
YouTubeエンディングにアップしています。
ピアノは、頭で弾くのではなく、身体で弾きます。
やっと、身体と音と指が連携できるようになり、曲想(音の色)も少しだけ添加できるようになってきました。
ギャラリーも少しだけ集まり、弾き終わると
「あら、また弾きにいらっしゃるの?楽しみだわ」と上品なミセスに声をかけてくださるまでに。
もしかしたら、京都の方の特有な意味合いがあったかもしれません。
私にはわかりませんが……。
でも、少し成長したので、これで、この曲は、卒業しようと思えるようになりました。
まだまだ、音色が足りていませんが、色んな曲を弾くことで、音の色が増えるので、一つの曲にこだわらず、指の可能性を広げることにします。
バッヘルベルのカノン
そして、今日、バッヘルベルのカノンのスコアを購入して、弾き込んでみました。
カナカナさんの、このカノン1時間耐久演奏は、よく仕事中に聴いていました。
指使いに無理がなく、回復仕切っていない私の右手に丁度いい難易度だったので、こちらのスコアを購入したのです。
なぜ、ピアノを弾く人は、右手と左手が違う動きができるのでしょうか。
私の場合ですが、頭の中では右手も左手も同じように感じており、身体から10本の指が直接生えて、音の波に漂っている感覚に陥っています。
実は、今日、その感覚が戻ってきたのです。
「あ、これで、私はこれから、ピアノが弾けるんだ」と
やっと確信できました。
それから、家にあったいろんなスコアを広げ、まだ右手にこわばりがありつつ、弾いてみました。
中学生の時、合唱伴奏で弾いた「大地讃頌」。
これを弾くと、なぜかアルトパートを歌いながら泣いています。
同じく、中学生の時に弾いたベートベンソナタ「悲愴」。
当時より練習していないので、もちろん上手く弾くことはできません。
でも、怪我する前の状態に戻ってきたようでした。
まだ、小指が硬いですが、弾いていけば改善できるかもしれないと、自分を信じられるようになったのです。
おそらく、指の筋肉が回復して、固くても力で曲げられるようになったのでしょう。
これで、リハビリとしての苦しいピアノは、ここで卒業となりました。
そして、怪我のリハビリ記録も、ブログ上では一旦、閉めさせていただくことにします。
今後の成長は、YouTubeエンディングにて
YouTubeは、今の所、続ける予定です。
今後、難易度の高い曲が弾けるようになったら、YouTubeのエンディングに、一部アップしていくことにしています。
歩みは遅いので、頻繁にリニューアルすることはないですが。
もし、その後の私のピアノに興味を持っていただけることがあれば、ぜひ、チャンネル登録を。
お得な情報とともに、いつになるかわかりませんが、かならず、新曲バージョンのエンディングをご覧頂けます。
最後に。
私のこの橈骨遠位部が複雑に骨折したのにも関わらず、ここまで回復できるよう、正しい治療をしていただいた主治医のスパルタン先生(治療編のブログを参照)。
当時は、手外科専門でありながら、整形外科専門医だけの肩書でした。
でも、最近、手外科専門医の取得を目指されたようです。
感謝の気持ちとともに、お祝いの言葉も添えさせていただきます。
また、救命医を始めとした、医療の現場のみなさん。
大変な時に、厳しい現場を、限られた人員で私達の命を守って頂いたことに、感謝申し上げます。
みなさんの手で、救われたひとりの人間が、こうして前向きに人生を歩み始めています。
私も、このいただいた力を、必要とされている方々に一人でも多く伝わるように励む所存です。
ありがとうございました。
=編集後記=
【昨日のできごと】
自宅で、オンライン業務をしながら、その合間はオフ。
じっくりと休みました。
かずこのお気に入り
日常の中で見つけたお気に入りを、NotionページにUPしています。
今、 町中華のかた焼きそばにハマっています。
50代からのひとり仕事を楽しむ
ひとり仕事の格言、ブログ・You Tube更新を配信。
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