「お母さん、絶対に許さない」
そんなことを娘から言われて、2年経とうとしています。
おそらく、娘からの拒絶があって初めて気付かされ、そこで母の行動から親子関係を結び直すのだと思うのです。
アッパシオナートとは、音楽用語でありイタリア語です。意味は「情熱的に、劇場的に」です。
未だに、母に対して批判的な目線を送る娘。それに感情を動かす私。
子どもは親の大先生であるのは、本当です。
「さよならマエストロ」のドラマが身につまされる
来週で最終回を迎えるこのドラマ。
劇中に多くの質の良いクラシック音楽が流れ、クラシックの神様に愛された父と、それを追いかける娘の悲壮さがリアルに感じ取れます。
ストーリーは、ネタバレになるので、こちらでは書きません。
ただ、登場人物の娘が父との葛藤から乗り越えたきっかけと、葛藤を持ったきっかけを語りだした回が最終回前だったことで、思いが溢れてひとりアッパシオナートになっておりました。
ここで、初めて私は、自分の娘が母である私に抱いていた気持ちを想像することができたのです。
クラシック音楽は、ただ心を委ねて楽しむには、とても上質な時間をくれる最高のコンテンツです。
何年も演奏され続けてきて、ピカピカ以上に磨きこなれた音楽をまた、感動を乗せて演奏するには、とてつもないトレーニングと表現する柱を持っていないと、精神が崩壊するとも言われています。
自分の人生以上に継続されてきた音楽を、自分の手で比較される覚悟を持って演奏するのは、普通なかなか理解できない世界でもあるのです。
このドラマは、そんなクラシック音楽を極める現実もしっかりと描かれており、私達親子の葛藤をそのまま絵にして見せつけてきたわけです。
なぜか、涙がツーっと出てきたわけで。
成功していれば、親子の葛藤は笑い話になるのかもしれませんが、遺恨を残したまま、やめてしまった私達には、その後悔を自覚させられてしまったのです。
子の心を知らない親たちも、子どもの延長でしかない
バイオリンという楽器は、不確定要素が高すぎる楽器です。
まず、正しい音を出すのに、自分の耳と楽器を構えたときの体制、弦を押さえる指の感覚だけで探って出します。
特に、子どもの頃は、どんどん身体が成長していき、楽器も分数バイオリンから大きくなるので、慣れたころにまた、音を探す旅が繰り返されているのです。
大人になってからの習得とは違う、想像しがたい難しさを、小さな子どもたちは、いとも簡単にやってのけているので、相当な負荷がかかっているはずです。
そうやって練習してきた演奏を、人前に出て舞台上で発揮するのは、それもまた、大変なストレスがかかっています。
こうやって、葛藤しながら会得していった音は、とてつもなく美しく、人の心に訴求していきます。
だから、やめられないんですよね。でも、辛くてやめていくお子さんも多いのも事実です。
娘は、テレビ番組でみたバイオリン奏者にあこがれて、本人からやりたいと言ってきました。
だから、辛いと言わず、先生に恵まれて、コンクールに出るまでに上達してきました。
私も、登場人物の父のような振る舞いを、娘にやってしまったことがあります。
それも、何度も何度も。
ドラマでは、軽い気持ちで発した父の言葉でしたが、私の場合、それ以上に激昂がついていました。
コンクールで失敗するたびに、私は娘に質問攻めをしてしまっていました。
「なぜ、失敗した」
ただでさえ不安定な楽器。失敗するかしないかは、本人もわかりません。
「あのとき、練習せよと言ったのに、お前はやらなかった」
練習したって、失敗するときはする。まぐれの成功確率を上げていくしかないのに。
今思えば、失敗は当たり前なのに、どうしても私は許せない気持ちに支配されていました。
一緒に舞台にでていた伴奏の先生から、「大丈夫ですよ」となだめられるほどです。
あのとき、娘が身体を震わせて泣きじゃくるのをみて、自分の感情の行き場を失った私も辛かったのを思い出します。
楽器もレッスンも安くありません。どうせ習うならいい先生へと、毎週長距離を移動していたのも気になりませんでした。
でも、投資しても成果がでないジレンマは、思いの外判断力を失わせることを知らなかった私は、感情に負けてしまったのです。
このドラマをみて、私の中であのときの自分を思い出し、未だ乗り越えていないことに気がついたのです。
子どもは、小さな大人ではありません。
でも、大人は所詮、子どものままだったりします。
親子といえども、一対一で人生かけて勝負しているような。
子育てとは、そんなものなのかもしれません。
「一度音楽をやった人は、ずっと演奏家でいるんだよ」
今、娘はバイオリンを手にすることはなくなりました。
そして、絵に熱中し、私が買ってあげたiPad ProとMacBookAirを駆使して、イラストを書いています。
でも、楽器は大切に持ち続けています。
まさに、ドラマが始まったときの登場人物である娘さんと同じような状況です。
ドラマでは、父と娘がそれぞれの抱えた傷から立ち直る瞬間がありました。
そこで、父は娘に言ったセリフで確かこんなのがあります。
「一度演奏をした人は、途中どれだけ辞めていたとしても、ずっと演奏家でいるんだよ」
実際のセリフとちょっと違うかもしれません。
でも、私は、これを聴いて、今くすぶっている状態の私たちも、いつか音楽をやるものとして、歩みだすことがあるのかもしれないと、希望が見えた気がしたのです。
また、ここで私の涙腺が崩壊します。
私の娘も、バイオリンの音を探って会得した体験が、きっとどこかで役に立つでしょう。
また、楽器に復活する日も、必ずやってきます。
一旦崩壊して、くすぶっている時間こそ、人間味を濃くする時間なんだと気付かされました。
ひとりビジネスもそうです。
一旦出していたメニューを引き下げて、一定期間やめてみるという決断をするときがあります。
私の「経理戦略会議」がまさにそれでした。
でも、最近、私のイニシャルと、この看板の名前が同じであることに気づき、また再開しようかと思い始めたのです。
正直、障壁が多い分野です。でも、起業当時、それをやろうとパッションで感じていたことは、間違いないのかもしれません。
出してみては引っ込み、また出してみるの繰り返しが、ひとりビジネスを続けるということなのかもしれません。
本当は、一発でバズるのが1番いいんですけどね。
でも、七転び八起きな起業が、世の中で1番多いと思うのです。
人生はアッパシオナートです。くじけているときは、自分を成長させる時間です。
今までやってきたことが、必ず活かすときがきます。
そう信じて、日々を重ねてまいりましょう。
=編集後記=
【昨日のできごと】
自宅での仕事。ChatworkとNotionのWebhookの研究など
かずこのお気に入り
日常の中で見つけたお気に入りを、NotionページにUPしています。
今、 町中華のかた焼きそばにハマっています。
50代からのひとり仕事を楽しむ
ひとり仕事の格言、ブログ・You Tube更新を配信。
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