不登校の子供を連れて、遊びに行った千葉県船橋市アンデルセン公園。
私には、3人の子供がいます。
上二人男子は、すでに社会人になり、家を出ました。
現在、高校受験を終えた娘一人と、怪我の多い主人と三人で暮らしながら、ひとり仕事に邁進しております。
私は、実家の両親が他界し、義実家とは折り合いが悪く、共働きスタンドアローンでここまでやってまいりました。
すでに20年以上の前の話も含まれるので、今になっては参考になるか、わかりません。
しかし、今、娘と向かい合っている中、同じ悩みを持つ方々もいらっしゃることを知り、恥ずかしい限りですが、
今までの自分の体験を、お話しすることにしました。
当時の私のメンターは、専業主婦だった歳離れた姉です。
ん?共働きではないのに?
しかし、彼女は家族とはいえ、実に聡明で、多くのケーススタディを教えてくれたのです。
彼女から言われたことは、
「絶対に仕事を辞めるな。天変地異があっても。」
「金がなくてもなんとかなる、情報と知恵を駆使して勝ち取れ。」
「短期投資で考えるな。長期投資で元を取れ。」
の3点です。
そして、これらの経験から「ひとり仕事」のエピソードが始まっています。
子供の成長に沿って、捨て身の覚悟で、どうくぐり抜けてきたか、長文毒強めでお話します。
保育園、小1問題
我が家が住んでいた地域は、幸いなことに、待機児童0人で保育園に入ることができました。
20年前以上の話ですが、すでに、待機児童問題が勃発しており、自治体も、増員に増員を重ねて、対処してきました。
おかげで、5月生まれの長男は、本来はゆっくり育てることが適していた子供でしたが、大人の事情で一つ上のクラスに入れられ、相当フラストレーションもあったようでした。
家では、おっとりしているのに、保育園では情緒不安定なことに、びっくりしたものです。
これらの問題をクリアするためには、子供の性格に頼ることになります。
幸いなことに、長男は、大人の顔色を見ていないようで、ちゃんと自分の身のふりを考える子供でした。
二つ下の次男は、人懐っこく、保育園の先生にうまく甘える事ができ、ある種プレゼン能力に長けていました。
長女も、周囲の大人の手を困らせる事がなかったので、子供が原因で諦めることはありませんでした。
長男が保育園に入った頃にはありませんでしたが、徐々に行政の支援サービスも充実してきて、
最終的には、ファミリーサポートを活用して、保育園のお迎えや夕食の面倒も助けていただく事ができました。
学童保育も、いざとなればファミリーサポートに連絡すればなんとかなる、という安心感もあり、随分と助けられました。
今では、当たり前にように助けてくれる存在が、ちょうど稼働し始めたこともあり、私は切り抜けられたと思っています。
そういえば、産後すぐのサービスも、保健所の紹介で、サポートに入っていただきました。
長男の時は、姑が「手伝わせてくれ」と押しかけてきたものですが、ご想像通り、先方が根を上げて帰る羽目に。
それ以降、妊娠が分かった時点で、産後のサポートの手配をすることがデフォルトになりました。
忘れがちですが、男親が、家族をどう捉えているかも、影響があります。
うちの場合、家族は自分のものであるという認識が強い人だったので、他人を家に入れてサポートを受けることに嫌悪感を持っていたようです。
しかし、最初に嫁姑の修羅場を目撃してから、産後のサポートについては、快諾するようになりました。
問題は、大人の環境(職場の風土)でしたね。これが結構痺れた記憶があります。
私がいたところは、女性の園(幼稚園)だったこともあり、フルタイムでの育児には理解がありませんでした。
え?と思われるでしょう。保育園ならいざ知らず、お子様をお預かりする幼稚園では、フルタイムで働く母のことを、想像し難かったのでしょう。
もし、短期的に結果を求めていたら、仕事を辞めていたと思います。
しかし、フルタイム育児スタンドアローンは、あくまでも長期投資です。多少の下落があっても、鬼スルーしましょう。
私は、二人目を妊娠して、さっさと育児休暇に入る手を使いました。後先考えない手段でしたが、知恵とライフプランを組み合わせて、できることを考えたのです。
あと、辛かったのは、子供の熱出た時の、「どっちが休む」問題ですね。
「俺、明日仕事だから無理」と開口一番に宣う夫には、もれなく殺意を抱きます。
彼も、入社周年記念の長期休暇を、次男の水疱瘡看病に当ててくれたので、できる範囲で協力はしてくれました。
それにしても、些細なことかもしれませんが、日常発する子供の熱に、咄嗟に断るのは、まずいですね。
これも、長期投資です。
今、回収し始めていますので、大丈夫です。ここは、短期で損を出す覚悟を持つことで乗り切ります。
名言その1
「何事も、最初が肝心です。」
名言その2
「職場での同性からの嫉妬は、どうにもならない。空気だと思え。悪になって思いっきり嫌われる覚悟を。」
名言その3
「子供の熱から逃げる夫。後からいくらでも代償を払ってもらえるので、今はあてにせず、できることを考えよう。」
大きな問題は、思春期に起こる
問題は、中学校に入ってからでした。
まずは、長男。入学して最初の定期試験に、極度のプレッシャーを受け(教科担任から強く言われたと思われ)、教室でパニックを起こしたのです。
もれなく、両親揃って呼び出され、担任、学年主任、生徒指導担当、教頭先生というフルスペックによる面談が行われました。
実は、薄々「育てにくい子供だなぁ。なんかあるなぁ」とモヤモヤしていたので、学校からもしかしたらと言われたときは、安堵のあまり、嬉し泣きしたものです。
直後、かかりつけの小児科に相談し、ビデオカメラに写した長男の様子を見てもらい、かつ、本人にも診察していただいた上、即、大きな病院へ紹介状を書いていただきました。
当時はまだ、発達障害の理解が浸透されていなかったので、病院も即予約が取れたのです。
彼は現在、立派に社会人として働いているので、彼の尊厳を守る意味で、診断名は明かしません。
当時は、すでに中学生になっていること、ここまで社会生活を問題なく過ごせたことは、彼自身、元々知能が高いこともあり、治療の必要はないと言われました。
半年の1回の通院は、薬の処方が必要かどうか、チェックするだけで、何事もなく、終えたように覚えています。
次男は、教科書通りの思春期でした。
学校のクラスも荒れて大変で、クラス役員だった私と、同じ母たちが一致団結して、教育委員会に乗り込み、周囲の目を学校に集めるようにしたことで、学校は本腰を入れてクラスの秩序を守るようシフトを変えていただきました。
つまり、クラス替えはできないが、クラスの順番を変えて、学年主任が担当することになったのです。
正直、ここまでしないと、学校という組織は、機能しないようです。担任という個人商店の腕にかかっていますので、運不運があります。これについては、次の章で詳しく語りますね。
一番の峠は、高校受験です。
受験はとてもシビアな大人への通過儀礼です。
今までどんなに順調に育ってくれたとしても、その子なりの課題が降り掛かります。それはそれで、子供が乗り越えるものなので、親のすることはただ、高校への入学金を準備するくらいしかありませんが、親も痺れることは間違いありません。
子供の学力より少し楽な学校を選択した場合、何も問題なくクリアできますが、チャレンジしようと博打を打つ受験の場合、子供は相当荒れます。
しかし、子供が望んだことは、どんなに荒れても、受験が終われば、自分のこととして、結果に納得して次に進みます。
この挫折も、きちんと味わってもらうよう、見守るのが、親の務めです。
それにしても、次男と長女は、本当に大変でした。
特に次男。本命受験の1週間前に、片目失明する事故があり、大学病院への通院も経験しました。
受験は、その子が抱える一番弱いところが炙り出されます。
それを本人が、自分の手で回収できる受験というシステムは、ある意味、親にとっても便利なものなのです。
実は、子供の熱のたび、仕事を休むことを断っていた夫は、努力虚しく、ここで職場からリストラになりました。
この時は、私もあちこち相談しまくり、次男の塾には色々と助けていただき、子供の希望通りの学校にチャレンジすることができました。もし、資金繰りがうまくいかなかったら、ランクを下げさせて、公立高校を受験させていたでしょう。
名言その4
「高校受験は、子供が自動的に大人になるシステム。」
名言その5
「学校という組織は、非常時には途端に機能しなくなるものである。」
通常の負荷に+5人分の重みがあると思っておくと良い不登校問題
それより、一番痺れたのは、長女です。
彼女は、小学校の担任より幾度なく無視されることで、学校に通えなくなりました。
校長先生や、教育委員会。また周囲のママ友の協力もあり、担任の人選に配慮していただいた時は、
彼女はなんの問題なく、学校に通えます。
しかし、別の学年で、新たな担任から無視されたりすることがあると、また学校に通えなくなりました。
これには、私は相当痺れました。
フルタイムで、組織で働く限界を感じたのは、実は彼女がきっかけです。
不登校の時期は、仕事をやめ、学校に通えるようになれば、転職の繰り返しでした。
極め付けは、中学2年生の時の担任とのトラブルですね。
立ち直れないほど、パワーハラスメントを受けました。
彼女は、なんとかクラスの役割を果たし続けますが、役目を終えた途端、学校に通えなくなったのです。
そして、運悪く、学校も長期欠席になっても、なんのフォローもなく、不登校に移行してしまいました。
新学期、気分新たにして、頑張って学校に復帰した時、娘の顔見て同じ担任が舌打ちをしました。
彼女はそれからもう、学校に居られなくなったのです。
ちょうどその時、私も事故で大怪我をし、仕事を辞めた時と重なります。
怪我のリハビリも終わり、再就職も決まりかけたのですが、彼女の不登校により、お断りしました。
これが、私のひとり仕事へのチャレンジが始まったきっかけです。
授業を受ける体制も、オンラインが導入されるなど不登校になっても、なんらかの措置が施していただくよう交渉し、なんとか受験まで漕ぎ着けました。
一番思ったことは、学校は、子供を復帰させることに躍起になり、根本問題を解決することができないということです。
また、子供が社会生活を送れないことで、親も孤立している過程が、想像以上に辛いものになります。
社会から断絶するとは、このことだと。本当に恐ろしいものです。まさに、究極のスタンドアローンです。
しかし、行政はそれに気づいていません。
自治体の教育相談にもお世話になりました。
しかし、子供ばかり目がいって、親の疎外感を理解してくれるところは、どこもありません。
「お母さんは、なぜそんなにお強いのですか?」
はい、そちらの校長先生が仕事をして下さらなかったからですよ。
今にも言いそうになりましたが、辞めました。言っても解決しないので。
不登校に対して、各教育委員会では、スタンダートというマニュアルを作成しています。
なぜか、娘の学校には、それにあたるものが存在していませんでした。個々の担任の力量に任されていたのです。
娘を嫌っていた担任が、きちんと報告していなかったこと。
学年主任に至っては、なんの感知もせず、スルーしたことが、不登校に至った原因です。
私が校長先生と話をした中で、他県の教育委員会が作成したスタンダードを紹介したら、
それをもとに、後から、中学校独自のマニュアルを作られたようです。
プロが素人に教わってどうする?と思いましたが、案の定、最後の最後まで、彼女は学校に戻りませんでした。
このように、私の育児は、大損失ばかり続いています。
しかし、当初お話した通り、共働きスタンドアローンは、長期投資です。
悩みながら、私はひとりでも仕事ができる術を得ようとしています。これが今後大きな幸せをもたらすかもしれません。
もしかしたら、穏便に子育てができたら、私は定年まで勤め上げて、老後は細々と生活していたでしょう。
しかし、怒涛の子育てを経たからこそ、今の自分があると思っています。
ゆえに、この話は、私の「ひとり仕事エピソードゼロ」となっているのです。
現在進行形で、悩んでいる方々へ。
困ったら、行政のサービスを活用し、知恵と思考で学校に交渉して、得られるべき子供の権利は、勝ち取るようにしてください。
短期的に見れば、大損失の連続です。
しかし、子供は成長し、家を出ます。その時に、親自身が第二ステージに立って、損を回収すればいいのです。
そのために、次なる手を常に考え続けることが大切です。
私のように、組織から出てひとり仕事を選択するのもよし。組織で力を蓄えて、権限を持つのもよし。
やり方は千差万別です。ただ、それを考える時間がないことも悩みでもあります。
少しでもいいから、本を読む。資格試験にチャレンジする。など、一歩行動に移せば、次に何をすればいいのか、わかってきます。
また、時期が来ないうちは、親の体調も崩れたりします。そんな時は虎視眈々と、時期がくるまで英気を養うように。
ともに、闘いましょう。
=編集後記=
【昨日のできごと】
自宅で、オンライン業務をしながら、その合間はオフ。
じっくりと休みました。
かずこのお気に入り
日常の中で見つけたお気に入りを、NotionページにUPしています。
今、 町中華のかた焼きそばにハマっています。
50代からのひとり仕事を楽しむ
ひとり仕事の格言、ブログ・You Tube更新を配信。
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