子育てとは、親にとって修行でもあります。
この春、進学・進級・卒業を控え、新たな道に進む子どもたち。
巣立っていった我が子の背中を見て、自分がどのように育てられたか、懐かしく思う時期となりました。
親として後悔していること
私は、唯一後悔していることがあります。
それは、子どもは思い通りに育たないことを知らなかった点です。
ワンオペ育児と共働きという、今思えば「無理だよ」と言えてしまう状況に、
「負けるものか!」と立ち向かった20代。若かったからできたあの状況に、よくぞ子どもたちはついてきてくれたと思っています。
基本、健康に生まれ育ってくれました。
だから、仕事も続けられたのだと思っています。でも、どうしても理解できないことがありました。
なぜ、上手く育ってくれないのだろうと、頭をかしげることが多かったのです。
今では、子どもは成人になっており、人として自立しているので詳しくは言えません。
もっと手厚いフォローをするべき子どもだったのに、手の回らないことで、随分と一人で頑張らせてしまったと、反省しています。
これが、私にとっての唯一の後悔です。
もし、私がよりよい教育環境を得ることに時間を割いていたら、子どもの人生の選択も増えたはず。
それだけは、子どもにより多くの宝物をもたせられなかったことに、悔いています。
基本どんな親でも受け入れてくれる
でも、結果的に、子どもは自分の力で生きています。
もし、私が手厚い教育をしたとしても、その後自分で、その環境を、自ら作り出せるかどうかは別です。
親に言えないこともたくさんあったことでしょう。でも、自分たちで解決しようと頑張ったことで、
早いうちから、自分なりに対処方法を編み出せたことに、よかったかもしれません。
そうなのです。どんなに間違えた選択したとしても、基本、子どもは親を信じてくれます。
また、知らないところでご近所に随分と見守っていただいたことも救われました。
子育てしてわかったことは、親が自分のできることに必死になりすぎず、心の余裕を持つことが、親子にとって一番いいということなのです。
上手な育児、最高な教育だけではありません。それらは、あくまでもツールに過ぎないのです。
今、育児に奮闘されている方に向けて伝えたいこと
先日、私が生まれた街に訪れる機会がありました。
そして、私が生まれるとき、母が通ったであろう病院への道も辿ってみました。
その時の、母の思いと状態を想像しつつ、生まれた病院まで行ってみたのです。
私の母と最後に会ったのは、私が長男を出産して、産院に入院していたときでした。
後から、毒親だったことを自覚したのですが、子どもだった頃は、そんな母親に対して「大好き」という思いが強かったことを思い出したのです。
きっと、私の子どもたちも、他のお母さんのように手厚いことをしなかったとしても、大好きでいてくれたかもしれません。
私は、親から受けた宝物は、ずいぶんとしょぼいものでした。
でも、その後、私の子どもたちから、逆に足りなかった宝物を私に授けてくれたように感じたのです。
ひとりの親が、子どもを完璧に育つことは、まずはありえないと思っていいでしょう。
もしかしたら、完璧に育てて高学歴のお子さんを巣立ちさせる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、子どもは、親からだけではなく、友人関係を始めとした社会の中で、育っていくのです。
子どもをとおして、親も社会の中で、成長していくのです。
子育てとは、実は、親育てなのではないか。今はそう思っています。
子育てが辛く感じたり、親として自信がなかったりしても、大丈夫ですよ。
一番は、子どもといて、心に余裕を持つ時間を作れるかどうか。
それだけ、考えていればいいのです。
=編集後記=
【昨日のできごと】
自宅で、オンライン業務をしながら、その合間はオフ。
じっくりと休みました。
かずこのお気に入り
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今、 町中華のかた焼きそばにハマっています。
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