「日本一汚い沼」と呼ばれた手賀沼。
初めてこの地にきたとき、ちょうど30年前でした。
当時の手賀沼は、汚くなった河川をいかに復活させるか、行政、地域、学校も交えて、盛んにきれいにさせる活動が盛んでした。
今は、沼周辺の環境も整い、散策する人も増えました。
この自然環境を、人がどのように愛し、汚し、復活させようとしているのか。
この過程が、人の人生に似ていることに気が付いたのです。
「日本一汚い」とは何だったのか〜
かつて、手賀沼周辺は豊かな自然と共に、文化の香り高い場所でした。
大正から昭和初期にかけては、小説家・志賀直哉、柔道の嘉納治五郎、柳宗悦の奥様で、音楽家(アルト歌手)の柳兼子をはじめとする多くの文化人がこの地に住み、分野を越えて交流を深めていました。
文学、絵画、音楽——。
それぞれの道を極める者たちが自然に囲まれた手賀沼のほとりに集い、独自のコミュニティを築きあげていたのです。
今で言えば、銀座のcafeに集う文化人たちの世界。
そして、創作活動をするために、お籠りする環境として、この手賀沼は愛されてきました。
手賀沼の周囲には、さらに縄文時代から続く古墳も数多く存在しています。
これは、この地が太古の昔から、人が暮らし、文化を紡いできた証です。
そんな歴史と文化に彩られた手賀沼が、時代の流れとともに汚染され、「日本一汚い沼」とまで呼ばれるようになっていきました。
その事実は、地域に住む人々にとって、単なる水質の問題にとどまらず、文化的環境から、単なる都心のベッドタウンとして生活するだけの場所になっていったのです。
かつて誇るべき場所だった手賀沼が、「汚い」というレッテルを貼られ、悪いイメージで語られる。
このギャップこそが、手賀沼にとっても、人にとっても、回復への大きな課題だったのです。
回復に至るまでの努力 〜見えない積み重ねの力〜
手賀沼が「日本一汚い」と呼ばれるに至った原因は、高度経済成長期に急増した生活排水と工業排水でした。
しかし、この状況を憂いた多くの人たちが、少しずつ、しかし確実に立ち上がり始めます。
まず動いたのは、地域住民でした。
「かつての誇りを取り戻したい」という思いを胸に、清掃活動や啓発運動を続けました。
1980年代には、市民団体による【手賀沼浄化運動】が本格化し、沼の周りでのゴミ拾いや、環境意識を高めるイベントが毎年開かれるようになりました。
今でも、その活動は続いています。
実際に、私も参加しました。
外来植物「ナガエツルノゲイトウ」の駆除です。
そっと抜かないと、かえって繁殖力を増してしまい、どんどん勢力を伸ばすやっかいなもの。もともとの生態系を壊してしまい、本当のきれいな環境を取り戻すことができません。
沼の現実を目の当たりにすると、ちょっとした開発発展時期の油断が、長年悩み続けることになる現実を突きつけられます。
一方、行政も本格的な対策に乗り出しました。
たとえば、
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下水道の普及(流入する生活排水を減らす)
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湖沼水質保全特別措置法による流域規制(企業や工場の排水を厳しく管理)
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水生植物の植栽事業(自然の力で水を浄化する)
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手賀沼流域下水道の整備(周辺自治体を巻き込んだ広域的な下水処理)
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手賀大橋の建設(沼を分断していた橋を架け替え、水の流れを取り戻す)

某ドラマロケ地にもなった、手賀大橋が見える桟橋より。
こうした数々の施策によって、手賀沼は「閉じた沼」から「流れのある川」へと再生を始めました。

以前は、沼の中に盛土でせり出した橋でした。「Livingかしわ」より
手賀大橋が完成し、行き場を失って滞留していた水がゆるやかに動き出したことは、回復の象徴とも言える変化でした。
しかし、実際に現場に立ってみると、回復の道のりは今もなお続いています。
私自身、手賀沼でヨットに乗る機会があります。
風を受けて進む船の上から見る水面は、かつてよりずっと穏やかになったとはいえ、透明度は高くありません。
湖底には、まだ多くのヘドロがたまっています。
特に農閑期で水位が下がる時期には、ヨットのセンターボードがヘドロに引っかかってしまうことがあります。
水面からはそれと気づきにくいため、進行が突然鈍ったり、思わぬ方向に船が流されたりすることもあります。
それでも、この地に暮らす私たちは、今も外来植物の駆除や環境整備に取り組み続けています。
「かつてよりずっときれいになった」という実感と、
「まだ道半ば」という現実を、私たちはどちらも受け止めています。
手賀沼の回復は、「奇跡」でも「一発逆転」でもありません。
誰にも見えないところでの、数えきれない努力の積み重ねと、
まだ終わらない、続く道のりの上にあるものなのです。
評価は必ず変えられる
このように、手賀沼は、かつて「日本一汚い」と呼ばれた沼です。
それでも、きれいにするための努力は続けてきました。
時間をかけてようやく、「以前よりきれいになったね」と言われるようになったかもしれません。
けれど今も、湖底のヘドロは残り、透明度は低く、外来植物は毎年のように生い茂ります。
そう、回復とは「終わることのない営み」なのです。
人も同じです。
一度失った信頼を取り戻すには、思っているよりはるかに長い時間がかかります。
時には「これだけやっても、まだ信用されないのか」と思うこともあるかもしれません。
でも、信頼とは「成果」ではなく「継続」で築かれるもの。
信頼の回復とは、ほぼ永遠に近いほどの地道な行動の積み重ねなのです。
そう腹を括ることで、ようやくスタート地点に立てるのかもしれません。
誰かに認められるためにやるのではない。
「もう一度、自分自身を信じたい」
その思いこそが、回復を支える静かな灯火になります。
手賀沼は、そんな生き方の象徴です。
手賀沼は、完全にはきれいになっていません。
けれど、「汚い沼」とは、もう誰も呼ばなくなりました。
それは、誰かが歩みを止めず、地道に続けてきたからでしょう。
信頼もまた、取り戻すには時間がかかります。
でも、歩みを止めなければ、景色は変わるのです。
今日のあなたの一歩も、
きっと、いつか誰かの見方を変える力になるはずです。
=編集後記=
【昨日のできごと】
お仕事の合間に、ランチ外出。ついでに銀行に生きましたが、連休始まりの月末ということで、大いに混んでおりました。
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