もう、学校は必要ない。
最近そんな風潮がでてきているように思えます。
子どもの学校、資格取得の通学など。
ネットでのつながりが強くなった今、学びに無料ツールが出てくるなど、
集団の中での学びが、今、薄れてきています。
今までにない価値観が生まれてきた今、親である私達は何を伝えたらいいのか。
これからの親のあり方、どうしたらいいのか、考えました。
そして、ひとり仕事を選択した私は、この不登校に似たものなのか、考え込んでしまったのです。
不登校が当たり前になりました。
先日、令和4年度のとあるデータを見て、私の肌感覚が間違いないことに確信しました。
これは、文科省が2023年10月4日に発表したデータです。
長期欠席者の数が、あり得ないくらいのスピードで、増加しています。
学校に通えない理由は、様々です。
でも、不登校としてカウントされている数が、これだけ増加していることに、いろんな意味で納得してしまっております。
- 「実は、自分の子も不登校だった」と告白する人が周囲に多い。
- 学校に通えなかったことに、特に不安視していない子ども。
- ネット上で、不登校に関わる情報が溢れている。
- 学校でのIT活用が活発化し、リモート授業を選択できるようになった。
私の肌感覚でも、ずいぶんと増えてきて、不登校という分野が当たり前になってきたようです。
果たして、このことをどうな意味を示しているのか。
私には、まだ、わかりません。
でも、何かが始まっていることは確かです。
一体それは、なんだろうかと。人の親として、これからの生き方に、どのようなものがあるのか。
学校に通うことに、当たり前だった時代を過ごしてきた私は、首をかしげるほどの分からないことだらけで、不安な気持ちになってしまいます。
当事者はどう考えている?
これは、あくまでも、私の身近にある一例に過ぎません。
実際に、学校に通うことを辞めた人に、聴いてみました。
「不登校の数が増えていることに、どう思う?」と。
そうしたら、つぎのことを話してくれました。
- 自分にとって、学校に通う意味がなくなった。
- 大人世代は、学校に通う以外の選択肢がなかったんだと思う。
- 今では、ネットでの居場所があるから、学校に行かなきゃ行けないということが、なくなった。
- 学校に通った方がいいのは理解しているし、通う意味はあることは否定しない。
- きっかけは、新型コロナ対策。友達との会話を禁止されたことで、学校に行く意味はないと思った。
私からみたら、この新型コロナだけが原因とは思えません。
でも、学校に行かない選択するのに、背中を押したものがあるとしたら、新型コロナ対策だということは、確かなようです。
現在、その人は、選択した道を納得した上で、これからのことを考えています。
今どきの生き方が、その後どうなるのか、未知数です。
でも、その生き方を選択した人たちが、社会に出てくることを思うと、大人として受け入れる立場の私は、しっかりと発信しておきたいと思うのです。
ひとり仕事を選択し、その生き方を発信している身として、若い時にどう過ごしてきたのかを、きちんと示しておくことで、より人生の選択時に、考える材料を提供できるわけです。
私個人は、学校での集団生活を捨てた不登校という生き方が、その後自分の身を助けてくれるかどうか、全くもってわかりません。
でも、今、ひとり仕事をする際、学校で揉まれた経験が、踏みとどまる心の足腰が鍛えられたと思っています。
そして、フルタイムで、組織の中でがむしゃらに頑張ってきたからこそ、ひとり仕事ができていると実感しているのです。
ひとり仕事=組織に属さない。
この生き方は、まさに、不登校の構図に似ています。
でも、気楽に見えるひとり仕事は、人生のそれまでの蓄積があるからこそ、可能なのです。
今、ひとり生活を選択した若い世代に、伝えたいことは、
「新しい価値観を、作り続ける人生になることを受け入れろ。」
「世間と闘い続ける勇気を持て」
の2つです。
50歳からのひとり仕事で、やっていてよかったと思うこと
今、私はひとり仕事を続けることに、必死にやっています。
この「必死」が肝です。
踏ん張れることができるのは、今まで歯を食いしばってやってきた自信があるから、できていると信じています。
次に、今の私が、当時の自分に「Good Job」と褒めたいことは、次のとおりです。
学校以外の世界を作っていたこと
幼稚園〜高校生まで続けていた習い事。
そして、地域のボランティア活動に参加し続けていた事。
この2つが、私にとって、学校以外の環境を与えてくれていました。
これがなければ、自分という核は育たなかったと思います。
水泳である競泳を、中学生まで。高校生から日本泳法を習得し、最後には、指導員資格まで得ることができました。
アルバイトもプールのコーチをして、子どもたちに水泳を指導していました。
この体験が、自分には教えることができるという自負を育てています。飛び抜けていい指導ができているかは、別ですが。
でも、カメラや人の前で、話すことができるのは、がむしゃらに水泳に取り組んできたからだと思っています。
そして、音楽もそうでした。高校生までクラシックピアノを習い、耳を鍛えてきたからこそ、いろんな気づきを得ることができ、感性を育てることができました。
もし、学校だけだったら、自分軸を育てるという発想は持てなかったと思います。
少しでも自分らしさを求めた社会人としての闘い方
「結婚しても、絶対に仕事は辞めるなよ」
母と姉から、口酸っぱくして言われてた言葉。
この意味を、心底から理解できたのが、子どもが生まれて、育児休業を取得したときでした。
もし育児休業がなかったら、自分は働き続けられていなかったでしょう。
でも、その後、育児と仕事の両立に大いに悩み、仕事を辞める選択をしたくなった時期がありました。
それでも、さきほどの母と姉の言葉が脳裏によぎり、意地でもフルタイムの仕事を辞めず、身体を壊しながら続けてきました。
今の不登校を選択した人から見たら、あり得ない状況でしょう。
でも、当時、意地を見せてきたのに、理由があったのです。
とにかく、自分の強みとなる稼ぐ力をつけておきたい!
それだけでした。
そして、今、ひとり仕事を選んだとき、この時の努力の賜物があったのです。
もし、組織に属することや働くことを辞めていたら、どうなっていたのでしょう。
おそらく、ひとり仕事を選ばなかったかもしれません。
ほそぼそと、身近でできることで、生きる選択をしていたのかもしれません。
どっちがよくて、どちらが不正解は、ありません。
でも、今があるのは、過去で人生の分岐点で苦労する方を選択し続けてきたからこそ、自分らしい生き方を得ることができたと信じています。
どんな環境でも、大人も果敢に挑むことを忘れないでほしい
不登校が増えたこの数年。
彼らが社会にでてくる時代は、また、新たな価値観が生まれてきているかもしれません。
その時の、大人である私達が、どんな生き方を選択しているのか、受け入れる私達にも、ある種の覚悟が必要になります。
とりあえず、新しいこと。新しい技術。これらはどんどん、試してみる大人であれば、人生を自律したものになるでしょう。
よく、「コロナ後」という言葉が、世間で聞かれるようになりました。
もしかしたら、本当の意味の「コロナ後」は、これからなのかもしれません。
コロナを子供時代で体験した子たちが、社会に出てくるとき、
50歳でひとり仕事を選択した私は、世間では定年の年になっているでしょう。
その時、新しい価値観で生き続ける必要がある中、この「ひとり仕事」を続けているのかもしれませんね。
=編集後記=
【昨日のできごと】
自宅で、オンライン業務をしながら、その合間はオフ。
じっくりと休みました。
かずこのお気に入り
日常の中で見つけたお気に入りを、NotionページにUPしています。
今、 町中華のかた焼きそばにハマっています。
50代からのひとり仕事を楽しむ
ひとり仕事の格言、ブログ・You Tube更新を配信。
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