※湖畔には親子連れが。この時期の思い出が、互いに心の支えになっていきます。
子どもを3人育てていると、いろんなことが起こります。
子育てが大変と言われる所以は、経済力や仕事のキャリアに響くなど、そんな甘いものではありません。
親の人生そのもので、子供と勝負せねばならぬことではないかと、常々思うわけです。
思春期の子供と向き合う、いや、そんな軽い言葉で片付けられると違和感がありますね。「子供と対峙する」がしっくりきます。
そんな時、親はどうすればいいのか、私のケースを語ってみます。
思春期の怖さ
3人の子どもの思春期を経験して、一言。
「さっさと、手を離す。諦める。ほっとく。」です。
思春期といっても、同じ遺伝子を受け継ぎながら、こうも違うのかと思うほど、一人ひとり異なります。
一人目、二人目の子供はとうに成人し、今では思い出となっていますが、現在、絶賛3人目の思春期に翻弄されています。
上二人は男子だったこともあり、母親に対して尊敬の念が多少残っていたため、良し悪しは別にして、なんとか乗り越えてきた感があります。
しかし、問題は、絶賛第二次反抗期中の3人目の女子。
同性ということもあり、母親に対する反発心が半端なく強く、もうこれは戊辰戦争かと思えるほど、激闘が繰り広げられるのです。もちろん、子供が官軍で、私が幕府派です。
幕末にサムライが終焉を迎える戦いと同様に、母親の尊厳に終止符を打とうとする子どもの威圧感は相当なものです。
負けがわかる戦争で、負けるわけにはいかない戦いを強いられる時、もうここは、人生すべてをかけて立ち向かうしかありません。
向こうも、存亡をかけて戦いに挑んできます。
これほど、厳しい局面は、そうそうありません。
その時、親はどうする
まずは、逃げないこと。そして、互いの尊厳を守ることを行う。
この2点でしょうか。
私は、自分の価値観と立場をはっきりさせるべく、絶対に意見を曲げることはしませんでした。
そして、江戸城無血開城のごとく、すぐに覇権を手放しました。
子供の意見は、その子供にとって自分を支える支柱でもあるのです。
しかし、それに同調するのではなく、子供と母親の意見が異なるという事実だけ確認だけでいいのではないかと思うのです。
反発するなら、自分の価値観で生きていけと。
逆な視点で見れば、あきらかです。
いままで親の価値観で生きてきて、それで息苦しくなったことで、自分の価値観と異なることに気づいたわけです。
親に戦いを挑むような子供は、ある意味生命力が強く、一人で生きていこうとしていると思えば、親の価値観や世話焼きは、一切必要ないことに理解できます。
我が家の場合、私は一切の手を引き、衣食住だけ世話をすることを宣言しました。
そして、あとのことは、父親に引き継いでもらい、育児の先頭交代を実施した次第です。
そして、今絶賛、受験期を迎えております。
思春期になる前にやっておくこと
このようなことが起こると、小さい頃の写真を見ては、「あの頃が可愛かった」とボヤくわけですが、このボヤキを情けないととるか、昔をよかったと思うか、これからのスタンスで変わってくるのではないでしょうか。
このよかった頃の思い出があったことで、本当に子供のことが嫌いにならずに済んだわけです。小さい頃、いっしょに頑張ってきた記憶だけあれば、あとはいいかなと思っています。
子供の立場から見ても、親とはしゃいだ記憶があるからこそ、親の発言に耳を傾ける可能性が残されているようです。
思春期が終えたら、育児は終わりと思いがちですが、違います。
まだまだ、親の役割は続きます。
思春期以前は、生活することを支え、思春期後は、人として生きることを支えます。
社会人としての作法など、社会に出た時に力を発揮できるようになるまで、まだまだ子育ては続きます。
こうなると、子育て=親の生き様であることに、気付かされる今日このごろ。
淡々と自分の歩む道を、進んで参りましょう。