出産育児のあと、仕事に復帰する際、私は自分のすべてを捨てました。
そうしなければならないと、信じ込んでいたのです。
アンタッチャブルな共働き時代
「和子、絶対に仕事を辞めてはいけないよ。何が何でも続けてよ」
私が社会人になった時、実の母と姉にそう言われて早30年。
忠実に言いつけを守ることだけ考え、今に至ります。
仕事=雇われと思い込んでいた私は、頑なにそれを守ってきたのです。
2歳違いの乳幼児を抱えながら、フルタイムの雇われ仕事。
今思うと、狂気の沙汰です。
- 前と後ろに子どもを乗せて、毎朝保育園に登園。雨の日も、風の日も、雪の日も。当時は私も若かった。
- 5月生まれの長男が保育園に入った年から、延長保育が19時までに。お誕生日が2ヶ月前だったら、仕事に復帰できず。ギリギリ遅く生まれてくれてありがとう、長男。
- お迎えは、いつもギリギリ。19時9分なんてザラ。今思うと、保育士の先生方にサービス残業をさせていた。
- また、ちょうど長男が生まれた時に、育児休業法が施行され、1年間休暇をいただけた。産後の肥立ちが悪かったので、1年前だったら仕事に復帰できず。
- 食洗機、全自動洗濯機はあったが、ルンバは高価で手が出せなかった時代。床掃除は我が家の家事から躊躇なくDelete。
- 上の子、真ん中の子がそれぞれちょうど4歳になった頃、同じように通勤電車の中で倒れて緊急搬送に。
- 育児休業明けごとに、新しい職場に配属。仕事を覚えるという無理ゲー。
- ついでに、通勤時間が2時間弱というマッスルな環境。
- しまいにお酒を飲んでいないのに肝機能障害に。この時体重は復帰時より5キロ近く減少。復帰したのにまた2週間ドクターストップでお休みに。
- 忘れていたが、もちろん2人の子どもは、よく熱を出す。
数えだしたらきりがありません。ちなみに、近所に実母も義母もいない、夫婦だけで乗り切りました。
肝機能障害のとき、地域の内科医に言われたのを思い出します。
「こんな状態で、働くとは。頑張りすぎています。診断書書くので、休みなさい」
医者も憐れむほど、ボロボロだったので、もちろん、職場にも迷惑をかけました。
職場での立ち振舞は気にしない
ここまで、極限の状態になると、職場でどう思われているか、気を使う余裕はありません。
一番大変だったとき、通勤時間2時間弱の幼稚園の現場だったので、よく遅刻するし、子どもの熱で急遽休みになることがありました。
そのため、授業カリキュラムが変更になり、幼稚園の先生たちには、大変な思いをさせていたと思います。
今なら、「悪かった」と素直になれたかもしれませんが、当時の私は、生きて仕事をすることだけでも命がけだったので、周りに配慮する余裕が全くありませんでした。
おそらく、ここで普通の人なら仕事を辞めていたかもしれません。
でも、私は意地でも辞めませんでした。
先の母と姉からの言葉が重くのしかかり、意地でも辞めるものかと、それだけ無茶を続けていたのです。
しまいに、上司から「実家に頼れないの?」と、あんに辞めてほしいと、私に言ってきたほどです。
もちろん、誰も理解者はいませんでした。
でも、それでも辞めませんでした。
理由はひとつ。それで辞めても、問題は解決しないと分かっていたからです。
仕事していなくても、パートタイムだろうと、在宅業務であろうと、小さい子どもを抱えている母は、身体を酷使しています。
であれば、こちらから職場に対して、どうしてほしいのか、はっきりとお願いすればいいのです。
働きながら思っていたことは、いかに神経を図太くさせていくかでした。
仕事を続けても地獄、辞めても地獄。であれば、続けて所得を持ち続けるのが、最適解だと考えていました。
この考えは、今でも正しかったと思います。
そして、当時独身だった同僚が、結婚出産して、「共働きがこんなに大変だとは」と気づいてくれました。
人は、その立場にたたないとわからないものです。であれば、無理に理解してもらおうと思わず、ただ図太く仕事を続けばいいのです。答えは、周囲が出してくれます。
こんな私でも、園児やその母たちには共感していただいていましたから。
本当に、あのときの園児たちには救われました。
究極の効率化しか生きる道がない
今年に入って、下の子が高校生になってやっと、子育てから手が離れたことを実感しています。
あの怒涛の時代をくぐり抜けて、残ったものは、「決断の速さと強さ」でした。これが、今の仕事や家事の効率化に繋がっています。
組織で働いていた頃は、
- 会議のアポイントは、こちらが主導権を握ってしまう。
- 職種を変えるごとに、覚えることが増えるので、同じような仕事を続けられるようにする。残業が増える元。
- 残業する日と、身体を休める日を週に1日ずつ設ける。
- 業務のスキルアップが、仕事の効率化につながる。
- 行政の制度を調べまくって、使い倒す。
を実行できるようになりました。
自分一人で抱えず、人に仕事を託す術も身につきます。これは、マネージャー業務にも、大いに役立つスキルです。
そして、今、私は、自分の身体に合わせた働き方として、ひとり仕事を選択しています。
違った仕事ではなく、今までやってきた「会計・経理」から、効率化を図る仕事を提供しています。
あの時、ものすごく苦労してきた結果が、今です。
さて、私に呪いの言葉をかけた母と姉。
ことの真意は、こうでした。
「女性は、経済力がないと、人生の選択が限りなく少なくなる。離婚したくてもできない地獄は、絶対に味わってはいけないよ」
仕事をするのも地獄、辞めても地獄、また子どもを産まなくても地獄。
であれば、開き直って、地獄の時期を勢いで駆け抜けてしまえばいいのです。
環境が左右するわけではありません。小さな子どもを持つ母たちの、その時期だけ、クライシスなだけなのです。
幼少期に乗り切れば、思春期も乗り切れます。
ただ、ご自身の身体だけは、大事にしてくださいね。
=編集後記=
【昨日のできごと】
自宅で、オンライン業務をしながら、その合間はオフ。
じっくりと休みました。
かずこのお気に入り
日常の中で見つけたお気に入りを、NotionページにUPしています。
今、 町中華のかた焼きそばにハマっています。
50代からのひとり仕事を楽しむ
ひとり仕事の格言、ブログ・You Tube更新を配信。
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