※京都東南大門の金剛力士像、阿吽の呼吸。本来の意味は、阿(口を開いて息を出す)吽(口を閉じて息を吸う)という梵字からきており、万物の始まりを象徴していると言われます。
学校に入学とともに、息を吸うようにPTAに加入を承諾してしまっていたことが、違法の可能性があるとヤフーニュースにて報道がありました。
「入学と同時に自動加入」は違法の可能性も?知らざれるPTAのヤバい実態
なぜ、このようなことになってしまっていたのか。
このような前例を作ってきてしまった元小学校保護者の一人として、元PTA副会長でありながら、次世代にスルーさせてしまったことを反省すべく、今後のあり方を探ってみようと思います。
PTAの起源
もともと、アメリカ発祥のPTAの正式名称は、「父母と教師の会」です。
参政権のなかった母親二人が立ち上がり、多くの人の賛同により全米に広がり、後の子どもを取り巻く法整備や衛生サービスの充実につながったとされています。(「Wikipedia PTA」参照)
日本には、戦前から学校の後援会的な組織がありましたが、戦後、GHQの指導により、アメリカ的PTAを国主導で広まったことから、PTAが根付いてきました。
本来、教育の民主化のために導入したのですが、運営する側も、指導する側も、戦前からあった学校後援会的運営がやりやすいこともあり、民主的な活動から、随分とかけ離れてしまいました。
これが、のちの「違法状態」と言われる歪んだ組織運営につながっていったのかもしれません。
PTAが強権を発揮しなければならなかった背景
民主主義の定着のために、導入されたPTAが、強権的組織に変貌していったのは、もともと、本来の民主主義を国民が利用しきれなかったということと、学校教育現場の人手不足を安易に解消するために利用された、この2点にあると思います。
日本古来の後援会的組織には、しっかりとした代表が存在していないと、機能しません。しかし、戦後のPTAは、参加者全員が民主主義の元、平等に扱われるため、代表は、有力者ではなく全員から選出するようになっていきました。
また、時代の移り変わりも有り、地元有力者という存在も希薄になっていったのもあります。そうなると、前例に従って運営するしか、方法がありません。
その上、任期1年で代表が変更されていくので、中長期計画によるPTA改革なんて、できるはずもありません。
このように、ボランディア活動が根付いているアメリカと異なり、日本のPTAは形骸化していきました。
また、学校側も、問題を抱えています。
校長や教頭に備わっているとされる気質に頼った組織運営が、PTAを余計にこじらせてしまっています。
たまたま、人格者の先生が寄り添っていただけるのであれば、問題ないのですが、そうもいかない場合もあります。俗に言う先生ガチャというものでしょうか。
私の知っている例では、公費で賄わなければならない経費を、決済に回す時間がないことを理由に、PTA会費から充当されていたケースもありました。
お金の扱い方もよく理解していない現場の先生もいらっしゃる現実で、本来の民主主義によるPTA運営は、望めるはずもないのです。
これはPTAに限った話しではない
たまたま、学校現場が、社会のガラパゴス化した世界だったので、PTAは進化の道から外れてしまいましたが、同じようなことは、どの世界にも起こりうると思います。
まさしく、リモート勤務がイレギュラーだった時代から、あたり前になろうとしている今、自分たちも、形骸化させてしまった習慣を持っていたことに、気づいたのではないでしょうか。
私は、子育てが始まっても仕事をやめませんでした。
しかし、周囲からは、「子育てしているから、大変でしょう。仕事を辞めたら」の言葉をどれだけ浴びてきたかと思うと、今は声なき声が、多数派になったように思います。
こうして、いやいや引き受けてきたPTA活動を、異論を呈する人が出てきて、声を発してくれるようになったのは、嬉しい限りです。
子育てを専門に引き受ける立場が、今の時代、少なくなりました。
この新しい時代で、どうやりくりしたらいいのか、基本に立ち返って、そもそも、PTAは民主主義を啓蒙する目的だったことを知って、これからの価値観を作り上げればいいと思うのです。
そして、本当の意味での民主主義が定着できる土壌が、生まれました。
PTAに限らず、様々なやりにくかったことが、改善できる可能性も出てきました。
特に、経理の仕事は、形骸化しやすいです。
やりにくいことを、我慢せず、声を上げて、よりよい仕組みを作れるよう、いい空気が生まれてくれることを願っています。