※西表島の海。人間関係に疲れたら、誰も居ない海にいきます。
努力をまったくしない人がいます。
こちらが色々頑張っていると、バカにしたことを言ったり、苦心しているのに冷笑したりします。
腹が立ちますが、きっと理由があるはずです。
環境の変化に恐怖心を抱く
努力しない人は、往々にして部屋の模様替えをしません。
効率化を目指した居住空間を、永遠に作ることはありません。
例えば、台所。
空いているスペースに、可動棚を設置したいといっても、一切興味なし。
それだけなら、まだしも、「やれるものなら、やってみな。」とつけはなします。
職場の場合
業務の改善として、無駄なことを省くことを提案する。
言われているのを気づいているはずなのに、スルーまたは無反応。
ひどい場合、逆ギレすることもたまにあり。
ともに、やりたくない仕事は、一切見向きもしません。
一緒に働きたくないな、と思ってしまいます。しかし、彼らにしたら、改善を言ってくる人は、平穏な日常をぶち壊す敵なのです。
この「平穏」がキーワードになってきます。
夢がない、もしくはすぐにあきらめる
頑張った結果が、大学の受験合格だけという人に多いです。
受験勉強は、合格を勝ち取ることができますが、人生の勝ちを約束できる代物ではありません。
夢を果たすには、それなりの準備と努力が必要ですが、当人は何もせず、ただチャンスが来たら、できると信じています。
そして、準備不足、リサーチ不足など、夢を果たす要因が揃っていないことに気づかず、「自分は夢が敵わないんだ」と、あきらめるようになります。
「夢を果たす」とは、けっして平穏な日常の延長にありません。
自己肯定感が低い
努力しない人は、最初から努力をしていないわけではありません。
幼少期、または大人になる前、きっと、こんなことがあったかもしれません。
何かを頑張っていたのに、誰かに冷笑された。
バカにされたり、失敗を笑い者にされた。
などなど。
でも、それは、誰しも起こりうることです。
過去の辱めに、いつまでも引きずって生きていくか、絶対になってたまるものかと踏ん張るのか。
所詮、その人次第なのです。
色々、理由を考えてみましたが、結局、その人自身が、成長や努力を選ばないということなんだと、行き着きました。
また、振り出しに戻りました。
そして、結局、結論がでませんでした。
いままでの経緯がどうであれ、決断できた人だけが、努力する。
という事実だけは確かなようです。
「平穏」のその先が、先細りであることに気づいている人だけが、努力できます。
今の生活は、「平穏」ですか。
だとしたら、その「平穏」は、いつまでも続く保障がないことに、ぜひ気づいてください。