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「非エンジニア」というラベル、そろそろ外しませんか

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ああ、あのとき、AIがあれば、私のキャリアはどうなっていたのだろうか。

おそらく、私と同世代の女性なら一度は思うことがあるはず。

キャリアのために、捨てた代償が大きい人、捨てることをやめて自分のキャリアを捨てた人……。

成功しているように見えて、その裏ではどんな苦労があっただろうか。

今の若い人に、男女関係なくぜひ、少数派だった私の独り言を聞いてほしい。

目次

認められた人と認められない人の線引きがすごかった

実は、中学生のとき、この体験をしました。

もちろん、私は「そうじゃない」派に括られた人。

当時、地元のキリスト教母体であるボランティア団体の会員として、定期総会出席の案内を受けました。

中学生だったのに、選んでもらえたと、当時の私は喜んだのを覚えています。

しかし、当日会場に行って渡された式次第を見て愕然しました。

「キリスト者」「非キリスト者」

この非キリスト者の欄に、申し訳ない程度の人数で、その中に私の名前があったのです。

あれだけ、みんなと楽しく活動して、認めてもらえたと喜んでいたのに、実は私はよそ者扱いだったのかと、現実を知りました。

今思えば、その少人数の中、何百人といるよそ者の中から選んでもらえたわけで、喜ばしいことだと理解できます。

でも、あれだけ一緒に汗水垂らして、やってきた仲間から裏切られたような気持ちを持ったことは、いまでもはっきり覚えています。

「神様に認められない人として、差別しているの?」

当時の運営に声を上げ、憮然とした顔で列席した私。

その後、この団体ではキリスト教信者であるなしの区別をしないようになりました。

キリスト教信者ではなく、キリスト教に基づいた理念を体現した人。

そう考え直してくれたのか、くれていないのか。

ことの真意は定かではありませんが、地域に根ざす活動にはふさわしくないと判断したのかもしれません。

それ以来、私は非◯◯者と言われることに、過敏になっています。

そして、どうやって努力しても、この「非」がとれない人生を歩んでしまったことに、今となっては「これも、私の人生」と一つの個性と捉えるようになったけど、それまでに至る道は、辛さの方が記憶に残る人生でした。

非◯◯としての人生

「非」という枕詞をつけての人生。

その後、私は専門家でもないのに、専門業界で働いていく人生をたどります。

  • 競泳選手として断念したのに、体育専門の教員に
  • 事務仕事が大嫌いだったのに人事異動で不本意だった経理部門で、経理の道に
  • その後転職した会計事務所で顧問先を担当したくて、頑張った税理士試験を断念

本来、その道のプロになるには、専門の知識と技術、そしてそれを担保する経歴が必要です。 でも、そんな時間的余裕がない中、環境が目まぐるしく変わっていきました。 そして、絶えず仕事の中で断念とチャレンジを繰り返す人生を歩んでいきます。

子育てがなければ、働きながらキャリアを積むことができたのに。

ずっと、苦虫を噛むような思いでした。

つまり、私は、「非」なのに、プロとして仕事しなければならない環境がずっと続いたのです。

何一つ、専門家として精進して勉強も努力もしないまま、仕事をして評価をうけなければならない。 でも、残業もできず、成果を見せることも難しい。

時間ないなかで成果を出すには、その道のプロでないとできません。

でも、プロではなかった私は、ずっと「仕事できない」レッテルを貼られた社会人人生を歩んできたのです。

つまり、線引されて「非◯◯のプロ」の人として評価されてきました。

さっさと諦めて、ラクな人生もあったでしょう。

でも、私より上世代の女性たちから

「絶対に、今の仕事を辞めないでよ。死守するのよ」

と言われたのも大きいです。

当時の女性は、諦めることで生き抜くことを選択した人がほとんど。 その悔しさ無念を、次世代の私に断ち切ってほしいという願いを受けたのです。

だから、私は諦めず、自分の辛い感情や周りの迷惑を切り捨てました。

当時のわたしが常に思っていたこと。

それは、「人生最高の野太い神経」と「ガジェットの進化」です。

まだ、携帯電話がドコモのmovaしか流通していなかった時代。 気軽に、職場にどこからでも連絡相談できるツールがあれば、もう少しは衝突なく仕事ができただろうにと。

それゆえ、私はガジェットオタクとして、今に至ります。

エンジニアと非エンジニアという括りがなくなる時代へ

昨今の「エンジニアと非エンジニア」という言葉に敏感にならざるを得ません。

実際に非エンジニアなのに、ものすごいパフォーマンスを繰り広げる方もいます。 でも、元々、別の分野で素地があったり、学歴も申し分ない、そんな高スペックな方だったりします。

しかし、なんの実績もキャリアも積んでこなかった私は、長年、非◯◯であることを自覚して生きておりました。 しかし、AIの台頭によって、それがなくなる時代が来たと実感しています。

もともと、ガジェット(携帯電話〜パソコン、アプリケーションや文具まで)によって助けられてきた私です。 このAIの存在は、かつての悩みを払拭してくれる、強力なツールになってきています。

以前の自動化には、プログラミングコードが書けないと実現できませんでした。

しかし、自然言語でAIを動かせるようになり、理系である前に、物事を言語化するスキルがあれば、だれもが専門家並にアウトプットできることができるのです。

もし、子育て時代の私だったら、次のようにAIを利用します。

  • iPadでAIアプリを稼働させながら、寝かしつけ。翌日の仕事の資料を作成。
  • AI自動化で、通勤電車のなかでAIに指示。職場についたらデータ入力が完了。
  • 自分が出勤できなくても、園児たちにオンラインで体操指導……。
  • 税務知識をAIで相談しながら、決算業務を進める。

ああ、なんて夢のような仕事生活!!

できないために、あきらめてきたことが、全部可能になるのです。

こうなると、もう非エンジニアであっても、エンジニアなみに自分に特化したAIを作り上げることができます。

もう、非エンジニアという括り、やめませんか。

かつて、線引されてできない人として括られてきた人生。 やっと、報われる時代になりました。

残念ながら、私は激務な日常を離れ、マイペースで仕事をする選択をしています。 AIで大量のパフォーマンスが必要でなくなった今、現役子育て世代の人たちが、AIで生まれた時間を自分のために使ってほしい。

そして、時間が自由になったときに、改めて自分のスキルを磨くことに投資していけばいいのです。

これからは、学習や残業するといった時間というリソースを使うのではなく、今を言葉に変える「言語化」スキルが生きてきます。

これは、いつでも始められ、自分の子どもたちにも伝えることができます。

私は、かつて線を引かれて諦めてきた人たち、非〇〇と括られてきた人たちに、自分らしさを発揮する可能性を実感していただきたいです。

最後に

そして、ここまで書いてきて思うのです。

私がずっと苦しかったのは、「能力」そのものよりも、「ラベル」で評価される世界だったのだと。 「非キリスト者」「非専門家」「非エンジニア」

言葉はただの分類のようでいて、いつの間にか、人の可能性にフタをしてしまいます。

だから私は、AIという存在に、単なる便利さ以上の希望を感じています。 AIは、誰かを「すごい人」にするためだけの道具ではなく、

これまで「できない側」に押し込まれてきた人が、もう一度自分の言葉で立ち上がるための杖になり得る。

私にとっては、その一本の杖が、長い間の悔しさを少しずつ溶かしてくれる気がするのです。 もし今、「自分は非◯◯だから」と、どこかであきらめかけている人がいるなら、伝えたい。

非◯◯のままでいい。そこから始めればいい。

「諦めない」と「可能性に興味を持つ」。この2つがあれば、人生は何度でも更新できます。 あなたが手放したままになっている夢は、何ですか?

そして今、AIに任せられそうな「ひとつの面倒」は、何でしょう。

私は、ここからまた、試していきます。

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この記事を書いた人

個人事業主・中小企業教務効率コンサルタント。Notionアンバサダー。「一緒に未来を見る伴走者」として小さな会社や個人事業主の方をフォロー|職種を超えて参加できるバックオフィス構築|オールインワンアプリ「Notion」を使った経理ノウハウなどのオンラインセミナーを開催|ほぼ毎日更新ブログ「経理戦略会議」管理人。メルマガ50代からのひとり仕事を毎日配信。

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