「PTA」いいイメージをお持ちでしょうか。
お子様をお持ちの方には、一度は通る難関みたいなものでは。
実は私も、PTAショックを受けた一人です。そして、そのPTAでの活動のおかげで、マネージメントの難しさを知りました。
PTAはカオスな集団
営利目的の会社組織と異なり、「PTA」は無償ボランティアです。
通常のボランティア活動の場合、趣旨を賛同する者たちが集まるので、基本同じ考えを持った人とやり取りします。
しかし、PTAは「同じ学校に子供を通わせている親たちとその学校の教師」が対象です。特に公立校は価値観が様々すぎて、それはそれはカオスな集団なのです。
感情私情のぶつけ合い
主義主張が強い方がいらっしゃると、よくぶつかって険悪な空気を作ります。
船頭が多すぎる、または誰もいないの両極端
船頭が多いと派閥ができます。また、くじ引きで負けた人が船頭になると、そこは浮遊する一方です。
改革が進まない構造
任期が一年、子供もいずれは卒業するので、前例を踏襲するやり方になります。
学校管理職の闇
PTA会費で、こっそり決済漏れした授業用教材を立て替えたりすることもちらほら。また、放課後になるとこっそりとPTA会議室にきてお茶するので、お母様方に手厚い歓迎を受け、憩いの場と化していました。
社会のルールが存在しない
基本、ボランティアかつバックグランドがバラバラの集団なので、それぞれのルールで勝手に動きます。
これら全部、私が体験したことです。共稼ぎだったのに、PTA副会長に勝手に推薦されたため、泣く泣く引き受けたときの現状でした。
PTAで痛感したこと
PTAへの参加率を高めようとした前任者が起こした改革でしたが、一気にみんな任期が切れてその後を私が引き継いだため、素直に受け、それを踏襲しようとしました。また、一部の行事を改革しようとしました。
そうしたら、前年の改革反対グループ、改革しようとした行事を前年通りに踏襲したいグループから、一斉攻撃を受けたのです。
最初のPTAショックでした。
そこで学んだことは以下のとおりです。
人それぞれ、組織への定義が千差万別
決して命令が通じない組織体
メンバー構成によって異なるマネージメント
女性が頭をとる難しさ
上下関係、ないようであったりする
今まで培った企業での立ち回りが一切通じなかったのです。
PTAで究極のマネージメントを体験
そんなとき、同じ本部役員の2名が私に話があると接触してきたので、近所のファミレスで話を聞くことにしました。
「前年の改革に反対だったこと、自分たちはそのつもりで動くので、あしからず。」という要件でした。
私はひたすら話を聞いて、相手の要望を私の言葉でまとめて返したところ、「話のきける副会長でよかった」と安堵した表情をしたのです。
そこで、私はどうしたらいいのか、答えを得たように思えたのです。
① 理屈の通じない集団では自分の立ち位置を明確にする
とにかく、自分の周囲にいるメンバーの味方であろうと決めました。
② PTAは誰のためにあるか、見失わない
結局、多数派の力は絶大です。その多数派が動きやすいようにしようと決めました。民主主義の根幹です。
③ 運営にユーモアを入れて、とにかく笑いで緊張感をなくす
とかく、前任者との闘争で眉間にシワが寄りガチでした。PTA会議室にいるときは、ボケる副会長を心がけました。しかし、言うときは強くいいます。
④ 不正は絶対に見逃さない。皆のお金を守ってナンボ
だらしなかった学校側に、メスを入れました。会計担当からのクレーム報告を受け、彼らを引き連れて突然、職員室で他の先生方がいる前で監査を始めたのです。税務調査を迎え撃つことはあっても、調査する立場になったのは皮肉ですが、どこをどう突っつけばボロ出るかはよく心得てます。結局は、教員預かりだったPTA会費を学校事務担当者が扱うことになりました。山が動いた瞬間です。
会社組織の方が楽に思えること
こう思うと、営利目的の会社組織は、目的が明確です。
それに合わない場合は、離れてもらうこともできます。
従業員の立場から見れば、会社の方針は絶対で、無理でもなんとか答えようとします。それが当たり前と思っていたのです。
しかし、カオスな集団を束ねるときは、本当の意味での民主的なトップでいる必要だったのです。集団の大半を占める意見の代表であるべきなのです。
人と対峙して、そして賛同を得る体験はなかなかできるものではありません。
もし、みなさんもPTAに関わることになったら、ただで武者修行ができると思って、飛び込んでみたらいかがでしょう。
副産物として、地域でのつながりができて、自分の別の居場所との出会いがあるかもしれませんよ。
ちなみに、私がここまで立ち回れたのは、当初改革派を支えていた会長が、鞍替えして味方になってくれたからです。学校側が私のクレームを言っていたところ、ピシャリと言い返してくれたりしました。また、前任者と非公式に接触してくれて、先方のケアもしてくれていたのです。良き人に恵まれました。
あるべき姿で頑張れば、必ず誰かが助けてくれる、ということも教えてくれた貴重な体験でした。