※ロボホンなら分かってくれるかもしれません。
家族の間でも、仕事の打ち合わせでも、言ったつもりが相手に通じていないことがあったりします。
それは、発信側の責任なのでしょうか。
私は、片方だけの責任だとは思っていません。
話が合わない人と関係を持たなければ、悩むことはなくなりますが、仕事だったり家族の間だと、嫌いでも関わりを持つ必要がでてきます。
特に、仕事上で言った言わないが起こると、損害も生じるリスクが出てきます。
それだけは、絶対に避けなければなりません。
言った言わないがなぜ起こるのか、そのメカニズムを知るだけで対処方法が見つかるかもしれません。
言っただけでは通じないのは当たり前
例えば、会話の中で「サンドするといいよね」という言葉がでたとします。
Aさんは、DIYを趣味にしています。Bさんは、グルメに詳しく美味しいサンドイッチ屋をいくつか知っています。
DIYでは、サンドとは挟み込むという意味も含んでおりますが、グルメの世界では、サンドイッチの略語であることが当たり前となっています。
このように、「サンド」という言葉一つで、これだけ意味に乖離が生じます。
本来なら、それまでの文脈を汲み取って、互いの価値観のすり合わせをしていくのですが、初対面や初めての環境、状況の場合、相手も当然知っていることを前提に話をするのは、よくあることです。
そのため、言ったはずなのに通じていない、という現象が起こっているのです。
伝えるという行為を分解してみる
相手とのコニュニケーションは、一方通行になっているケースが多いです。
グループワークのワークショップでも、コニュニケーションワークとして、両方通行というワークがあるほどです。
相手に伝えると同時に、相手からの発信を正しく受け取ることを両方通行といいます。
ただ、学校の先生や指導者、管理職研修で取り入れることがありますが、一般的な研修ではあまり導入されていないようです。
報告・連絡・相談というワードが一昔流行りましたが、伝えるばかりが注目されていました。
しかし、本当は、相手を知ること、相手に知ってもらうことが本筋なのではと考えるのです。
無知の知と感情を乗せること
哲学者ソクラテスが「無知の知」を説いています。
自分が知らないことを知る、という話です。
自分が知っている範囲は、ものすごく限定されているということ。
自分が知らないことが、たくさんあると自覚を持つこと。
これらが、「無知の知」と言われています。
相手を会話しているとき、文脈を読み違えるのは、ものすごく限定された自分の知識で粗方要約してしまうところから、行き違いが生じているためです。
しかし、人間は、予測を立てて当たりをつけるというスゴ技で、難局を乗り切ることも必要です。
その弊害が、相手の言っていることをよく理解しないまま、行き違いが生じているのですが、決して悪いことではないと思うのです。
知らなくても、とにかく自分の持っているスペックで当たりをつけ、失敗しながら自分の無知の知を広げていくのではないでしょうか。
解決する方法。それは「感情」です。
例えば、相手に説明したのに分かってもらえないとき、困っていることを訴えます。そうすると、相手は両方通行コニュニケーションを心がけ、なんとか解決しようと動き出します。そのときに、初めて相手は「無知の知」を知るのです。
感情をむき出しにすることのリスクもあるので、そこはほどほどにする必要があります。困っていることを淡々と伝えるのです。
世の中には、いろいろなマニュアルがあって、そのとおりにすれば上手くいくことはまずありません。なぜなら、人間は感情の生き物だからです。
行き違いで困ったことを伝える、話しても理解してもらえない寂しさを伝える。
感情のやり取りをすることで、初めて双方で理解が深まるのです。
言ったはずなのに通じていない状況とは、互いに感情込めてやり取りをしていないことで生まれています。
また、感情のやり取りをしたい相手に恵まれることも必要です。
もし、そこまでやっても通じない相手の場合、離れることも大切です。
「言ったはずなのになあ。なんでだ? 私が悪いのか?」
と落ち込む前に、一度相手に感情を適度に伝えてみたらいかがでしょうか。