※入院手術にサインする膨大な書類たち
突然、命の選択を迫られたとき
今夏のフジテレビ月9ドラマの「ナイトドクター」の第5話を見ました。
インフォームドコンセントの問題が取り上げられてました。
子供の命が危ぶまれ、非常にリスクの高い手術で、大量の承諾書にサインをさせられる母親が、理性を失って医師に絶対助けさせる約束を迫る場面がありました。
私も、入院手術の際、膨大な書類をサインしました。よく読むと、想定されるリスクが書かれており、「こんなリスクが起こるかもしれないから、よろしくね。なったら、最善尽くすけど、どうしようもなくても文句言わないでね」のような主旨で作られた書類だなぁと眺めながら思ってました。
しかし、私が親だったら、ここまで医師に無理強いしないと思います。自身持って、そう言えます。
もう社会人になった息子たちが小さかった頃(小2、年長)、スキーに行ったときです。
父親が先に滑り出し、あとを必死に食らいついて滑り出した次男が、新雪にハマって、大転倒しました。そのときに履いていた板のビンディングが外れず、大腿骨を骨折したのです。
その時、残された私は次男のそばに寄り、少し上に自分の板を外してバッテンして雪に刺し、激突を防ぎました。そして、近くにいた人にレスキューを頼んだのです。そして、長男を父親のところへ行って、事態を報告するよういいつけました。
直にレスキュー隊が到着、状況を説明したあと、「ところで、親御さんはどこですか?」と聞かれたので、自分が母親だと名乗ると、「え?あなたがお母さん?親なら、もっと騒ぎますけど」と言われたほど、冷静だったのです。
いかなるときでも冷静な判断ができる方法
なぜ、私は取り乱さなかったのか、というと、学生時代に、水泳やスキーの指導のためトレーニングをつんでいたからです。
そのため、自分の子供が倒れても、どうすればいいのか分かっていました。
いつ、何時も、非常事態になっても、自分の対処の仕方を決めておくことが、常に冷静でいられる要件なのです。
いつ、なんどきも最悪なことになっても、自分を冷静に保って正しい判断を下せるようにする。
なんだか、文字にすると修行僧のような悟りを得ないとその境地に立てないような気になってしまいます。
しかし、実はそんなに難しいことではないと思うのです。当時の私がそれができたように、ほんの少し、考えるだけで、誰でも可能だと思うのです。
受け身にならないことが自分の人生を守る
例えば、先のスキーの場合、受け身だったら、ただひたすら叫んで誰かに助けてもらおうとするでしょう。そして、誰も助けてくれなかったら、人のせいにして恨みだけ募っていきます。
しかし、能動的に動くとしたら、まずは自分のできることを必死に考えて、自分から動いています。たとえ、スキーの板でバツにしなくても、叫ばずに通りかかった人にきちんとお願いができたわけです。
先のドラマの場合もそうです。誰かが助けてくれる、という他力思考ではなく、自分から承諾書の意味を吟味して、医師からの適切な情報を聞いて、専門知識がそれなりになくても、理解しようと能動的に動くこともできるはずなのです。
行き着くところでは、宗教思想の域になってしまいますが、そこまで行かなくても、結果を人のせいにせず、自分もしっかり関わろうとすれば、必然的に自分や守るべき人の人生を守れると思うのです。
話は変わりますが、あの大量の承諾書。ペーパーレス化できないものでしょうか。例えば、Googleアンケートみたいに、タブレットでポチポチして、スタイラスペンでサインなんて・・・。詳細は、メールで送ります、で十分だと思うのは、私だけでしょうね。