2025年の夏。甲子園高校野球の優勝校の沖縄尚学の応援歌である
「ハイサイおじさん」。
ネットでは魔曲と言われ、吹奏楽の音とともに何百人もの指笛が、アルプススタンドで鳴り響く様が、圧巻だったのが印象に残っているかと思います。
実は、その光景をテレビで見た私は、かれこれ50年以上の前の記憶に揺さぶられ、涙が止まらなくなっております。

沖縄北谷町にて。巨大なハイビスカス
沖縄県代表が日本一になった!
私は野球というスポーツに馴染みがなく、基本的に甲子園の試合は見ておりませんでした。
今年の夏の甲子園では、開幕当初出場辞退をする高校など、波乱万丈な話題で持ちきりに。
今年も見ないだろうなと思っていたのですが、幼少期に暮らしていた沖縄の代表校が勝ち進んでいることを知り、また、対戦高校も実家があった西東京代表ということで、ムネアツな気持ちでテレビから応援しておりました。
今回の決勝戦は、皆が熱狂するポイントが、すべて揃っていたように思います。
- 決勝戦両校とも、ピッチャーがかっこいい
- なにかと暗い影を落とす高校野球だけど、そんなのそっちのけで、試合に集中する球児たちみんなが、明るい表情をしていた
- 両校の監督が中身もイケオジ
すみません……、スポーツ観戦というより、イケているメンズがものすごい集中力で戦闘モードになっている姿は、世の女子を熱狂させないわけがない、ということで……。
これは、イケメン俳優の推し活をしている私ということで、お許しをいただけると有り難いです。
決勝戦が決まったことで、ウチナンチュ(沖縄県人)のために、航空会社が臨時便を出した話を聞き、甲子園アルプススタンドにカチャーシーと指笛が増えるのは、歴史的にみて今後もうないかもしれないと身震いしました。
それだけ、応援歌である「ハイサイおじさん」と指笛が大人数で鳴らされたら、そりゃ国が動くほどのパワーを目の当たりにするだろうと。
また、便がないため、台湾経由で伊丹空港に飛んだ逸話を聞き、歴史に残る決勝戦になることは、想像が容易だったのです。
そして、沖縄だけにとどまらず、日本全国が、指笛とカチャーシーに心奪われる様を見て、やっと沖縄の戦後が一区切りついたのかもと思ったのでした。
5歳の記憶に残る、ハイサイおじさん
私は、沖縄が日本に返還された直後に、1年間那覇に住んでおりました。
この多感な時期に沖縄民謡に触れたことで、その後のわたしの音楽への考え方に大きな影響を与えたことは、事実です。
ラジオから流れる沖縄民謡が、子ども心に強く残っています。
理由は、沖縄言葉の柔らかい響きと、沖縄音階から受けるちょっと心がフワッと浮かぶ感覚が、病みつきになるからでしょうか。
音楽理論で語るには難しすぎるので、ここでは割愛しますが、この沖縄(琉球)音階は、西洋のメジャー音階より大事な2音がないことで、聞く人の心が少し不安が気持ちが起こり、音にすがりたくなる効果があるのではないかと思っております。
たった1年しかいなかった沖縄での暮らしでしたが、本土に戻ることが決まると、私の母は、沖縄民謡のレコードを買い漁り、引っ越し先の土地で、ずっと沖縄民謡を流して、私の気持ちを落ち着かせてくれました。
今となっては、懐かしいです。
そんな沖縄音階で作られた沖縄の創作民謡の歌が「ハイサイおじさん」。
実は、昔からの民謡ではなく、戦後作られた創作民謡です。
この曲を作った喜納昌吉さんが、どこぞのショッピングモール?スーパーマーケット?(子どもの頃の記憶が曖昧です)で、仮設ステージで、このハイサイおじさんをバンドで歌っているのを、うっすらと記憶に残っています。
そして、この歌が大好きになり、ずっと口ずさむ日々だった私にとって、このハイサイおじさんは、子ども心に不安だった気持ちを、そっと楽にしてくれました。
沖縄を離れても、しょっちゅうハイサイおじさんを歌う小学生になった私に、ある日、母からこの歌の由来を聞かされました。
- 歌詞に出てくるおじさんは、実際にいた人がモデルであること
- 第二次大戦で、唯一アメリカ軍が日本に上陸された沖縄は、悲惨な状態で終戦を迎えたこと
- それをきっかけに、その家族に悲惨な事件が起こり、残されたおじさんはお酒がないと生きていけない状況になったこと。
- そんなおじさんと親戚の子どものチグハグした対話が歌詞になっていること。
この話を聞いて、ますますハイサイおじさんは、単なる陽気にしてくれる歌ではないことを知り、私の心に深く重みを抱えた気持ちになったのを思い出します。
そして、戦後80年たった今、日本に返還されて50年たった今、このハイサイおじさんを奏で、指笛を吹く高校野球の応援団の圧倒的パワーを受けて、やっと沖縄の魂が日本に打ち返してきたように思え、涙が自然と出てきたわけです。
沖縄の歌に「花」が多いわけ
私が好きな沖縄の歌に、歌詞の中で「花」がよく登場します。
曲名 | 分類 | 「花」の使われ方の内容概要 |
---|---|---|
てぃんさぐぬ花 | 民謡(教訓歌) | 親の教えをホウセンカの花に例える |
えんどうの花 | 歌謡曲 | 幼少期の思い出をえんどうの花で表現 |
花 ~すべての人の心に花を~ | 歌謡曲 | 心に花を咲かせる希望的・情緒的表現 |
皓月(八重山民謡) | 八重山民謡 | 花を咲かせる、咲かせましょうと歌詞に登場 |
歌に出てくる「花」は、単なる花ではないと思っています。
歌詞の上では、実際の花を歌っているのですが、花という言葉をとおして、
- 人の心にあるパッション
- その人が持つ唯一の力、宝、個性
を指しているのではないでしょうか。
沖縄の歌は、人が持つ「花」に、優しく寄り添うような歌詞が多く、一人ひとりの個性を認める文化的価値観が、昔からあったように思います。
そう言えば、思い出しました。
沖縄にいた頃、指笛を鳴らしたくて練習していたことを。
一向に鳴りませんでしたね。そのまま、忘れておりました。
いまでは、練習解説動画がYouTubeに上がっている時代です。
今からでも練習すれば、鳴るかな。
そんな多くの思い出が、湧いて出てきた、2025年の夏のお話でした。
=編集後記=
【昨日のできごと】
推し活のために、本屋さんへ。初めてのファッション雑誌を購入。
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